
※登場人物は仮名です。
プロローグ:戦場は、いつもバスルームだった・・・
私、桜井ユイ、29歳。職業:都内IT企業の営業事務。趣味はメイク。
そして宿敵はつけまつげ用グルー。
私たちの戦いは、かれこれ5年になる。
つけまつげとの出会いは大学2年の春だった。初めてつけた日、鏡の中の自分が別人に見えた。まつげがバサバサになるだけで、こんなに目が大きく見えるなんて。
しかし、それは蜜月の終わりの始まりだった。
毎朝7時45分、バスルーム。グルーをつけまつげに塗り、30秒待つ。いや45秒か。このタイミングを間違えると、くっつかない。乾かしすぎてもダメ。
「よし、いける!」
つけまつげを目頭から慎重に乗せる。ついた、と思った瞬間、目尻が浮く。
「あああああ!」
もう一度グルーを塗る。また30秒待つ。時計を見る。8時7分。やばい、電車に乗り遅れる。
結局、グルーが完全に乾く前につけて家を飛び出す。駅のホームで電車を待つ。そのとき、右目の目尻に違和感。触ってみる。
つけまつげの端が、ペロンと浮いている。
こうして私は、右目だけ目力が30%減の状態で会社に向かった。これが、私の日常だ。
3ヶ月前、マッチングアプリで知り合った拓也くんとの初デート。前日の夜から準備して、当日は朝から3回練習。完璧な仕上がり。
デートは順調だった。ランチして、映画観て、カフェでお茶して。「この人、いいかも」そう思った瞬間、左目に妙な違和感。
トイレに駆け込む。鏡を見る。
左目のつけまつげの目尻側が、45度くらいの角度で空中に浮いている。
「いつから!?」
映画館は暗かったから気づかなかった。でもカフェは明るかった。つまりここ30分、私は片目だけまつげが暴走した状態で彼と話していたことになる。
ちなみに拓也くんとは、その後もう一度だけデートして自然消滅した。まつげのせいかどうかはわからない。でも私の中では、まつげのせいということになっている。
そして決定的な事件が先月起きた。
朝、いつものようにつけまつげをつけた。でもその日は目がやけにかゆい。昼休み、トイレで鏡を見て絶句した。目尻が真っ赤に腫れている。
皮膚科に駆け込む。先生は私の目を見て即答した。「グルーアレルギーですね」
その日、私は人生で初めて、つけまつげなしの自分で電車に乗った。鏡を見るたびに思った。「目、小さ...」でも肌が荒れるくらいなら。
私は、つけまつげのない人生を受け入れようとしていた。
そう、あの夜までは。
仕事を終えて帰宅。いつものルーティンを終えて、ベッドに潜り込む。
スマホを開く。Youtubeを開く。動画が次々と流れてくる。料理、ファッション、猫、ダンス、美容。
「今日も何も起きなかった一日だったな」
そう思いながら無心でスクロールしていた。そのとき。
画面に、見覚えのある形のものが映った。つけまつげだ。
「またつけまつげの宣伝か...」スクロールしようとした。でも何かが違う。
動画の中の女性は、グルーを手に持っていない。代わりに小さな磁石のようなものを持っている。
「...え?」
女性が、自分のまつげの上に小さな磁石を置く。そして、つけまつげを上から被せる。
カチッ。
それだけ。
「え、終わり?」
動画は続く。女性が鏡に向かってウィンクする。つけまつげは完璧についている。そしてコメント欄には視聴者の称賛のコメントが表示される。
「グルーいらず。3秒でつけられる。繰り返し使えて経済的だよね。マグネットつけまつげ私もつかってるー!」
私の指が、画面の上で止まった。
次の瞬間、私の脳内で何かが弾けた。
グルー、いらない?待ち時間、ゼロ?アレルギー、起きない?
過去5年間の記憶が高速で再生され始めた。グルーが乾くのを待つ朝の無駄な5分。電車の中でつけまつげが浮いていることに気づく絶望。デート中のトイレダッシュ。旅行先で「グルー忘れた!」と叫んだ夜。真っ赤に腫れた目。つけまつげを諦めようとした、あの寂しさ。
「全部...」
私は布団の中で体を起こした。
「全部、磁石で解決するじゃん」
心臓がドキドキしている。私は動画を最初から見直した。もう一度。もう一度。コメント欄を読む。
「これマジで革命!もうグルーには戻れない」「朝の支度時間が5分短くなった」「コスパ最高。もっと早く知りたかった」
私と同じ戦いを繰り広げていた女性たちの、勝利の声だ。
そして価格を見る。2,980円~。(値段はピンキリ)WOSADOが人気なんだねー毛束別で種類も多そう
私の脳内で電卓が回り始めた。今までつけまつげに月2,400円、グルーに800円、クレンジングの追加分に500円。合計で月3,700円。年間にすると44,400円。
マグネットつけまつげは2,980円で繰り返し使える。差額は年間で4万円以上。
私は声を出していた。
4万円あったら何ができる?デパコスのアイシャドウパレットが3個買える。美容室に4回行ける。韓国旅行に行ける。
「うわあああああ!」私は布団の中で叫んだ。
次に時間を計算する。今までの朝はグルーを塗って乾かして失敗して修正して、平均3〜5分。マグネットつけまつげなら3秒で終わり。差額は1日あたり約4分。年間で計算すると1,460分。約24時間。
「丸一日分の時間を、グルーが乾くのを待つことに使ってたの...?」
でも一番大きいのはこれだ。「今日はつけまめんどくさい」という朝の憂鬱。電車で浮いていることに気づいた時の絶望。デート中のトイレダッシュの心配。アレルギーの不安。
マグネットつけまつげなら、全部ゼロになる。3秒でつけられるから毎日気軽。浮く心配もない。磁石だから。グルーを使わないからアレルギーもない。もしものときも3秒でつけ直せる。
「...これ、人生変わるやつじゃん」
でも待てよ。私は冷静になろうとした。「本当に大丈夫なの?磁石で本当にくっつくの?」
商品ページを開く。レビューを読み漁る。
星5つ「初日から感動しました。もうグルーには戻れません」。
星5つ「 付け方はネット動画にたくさんあるので不器用な私でも3秒でつけられた!」。
星3つ「最初は慣れないけど、慣れたら最高」。星5つ「マツエクやめてこれにしました」。
使い慣れてる人たちの割とイケルよ高評価のレビューが並んでいる。
(不器用さんは練習が必要との辛口レビューも発見)
「...みんな、同じ戦いをしてたんだ」私は画面の向こうの見知らぬ女性たちに、勝手に連帯感を覚えた。
でもまだ迷っている。「今月結構美容に使っちゃったしな」
そのとき私の目に、洗面台に置いてあるものが映った。つけまつげのグルー。先月買ったばかりなのにもう中身が固まってきている。また来月800円で買い直すことになる。
そしてその隣に置いてある使いかけのつけまつげ。まだ2回しか使ってないのにもう毛先がバラバラ。来週にはまた新しいのを買わないといけない。
「...これ、永遠に続くのか」
私は未来の自分を想像した。10年後も私はまだグルーが乾くのを待っているのだろうか。20年後もデート中にトイレで格闘しているのだろうか。
「...いや、違う」私はスマホの画面を見つめた。「今、ここで変えられる」
0時12分。私はカートに商品を入れた。購入手続きに進む。住所を入力。支払い方法を選択。
「ご注文を確定する」ボタンが光っている。
私の指がそのボタンの上で止まった。「...本当にいいの?」
でも次の瞬間、私の中で何かが吹っ切れた。いいんだよ。5年間も戦ってきたんだ。もう解放されてもいい。
私はボタンを押した。ポチッ。
「ご注文ありがとうございました」の画面が表示される。
「...やった」
私は布団の中でガッツポーズした。そしてなぜか泣きそうになった。「長かった...本当に長かった...」
注文完了のメールが届く。お届け予定日は明後日。
「あと2日で、グルーとの戦いが終わる...」
私はスマホを抱きしめた。そしてもう一度、商品ページの動画を見る。カチッ。つけまつげがまつげに吸い付く音。「この音、もうすぐ私も聞けるんだ」
私は脳内で明後日の朝の自分を想像する。7時55分、メイク完了。マグネットつけまつげを手に取る。カチッ。3秒で終わり。時計を見るとまだ8時前。こんな朝、5年ぶりだ。
そして電車の中でもまつげを気にしない。会社でトイレの鏡を見ても完璧についている。一日中まつげのことを考えずに過ごせる。家に帰ってメイクを落とすとき、つけまつげをペロンと剥がす。グルーのベタベタもない。水で洗ってケースにしまう。また明日も使える。
「これが、私の新しい朝だ」
0時37分。私はまだベッドの中でマグネットつけまつげのことを考えていた。「明後日が楽しみすぎる...」
そしてふと思った。「他にも私みたいにグルーと戦ってる人、いっぱいいるんだろうな」
私は親友のアヤにLINEを送った。「ねえねえ、マグネットつけまつげって知ってる?」
3分後、既読がついた。「知らない!なにそれ!?」
私は商品のリンクを送った。「これ、革命だよ。グルーいらない。3秒でつける。人生変わる」
「え、まじで!?」「まじで。私今買った。届いたらレポする」「待って、私も買う!!!」
私はニヤリと笑った。「革命は、こうやって始まるんだ」
そしてスマホを置いて目を閉じた。
明後日。私の新しい人生が始まる。グルーと戦う日々は、もう終わりだ。
さようなら、5年間の戦争。こんにちは、マグネット革命。
【翌々日・午前8時】
ピンポーン。「宅配便でーす」
私は玄関に飛んでいった。箱を開ける。中から小さなケースが出てくる。マグネットつけまつげ。
私はそれを両手で持ってしばらく見つめた。「...ついに、この手に」
そしてバスルームに向かった。新しい時代が、今、始まる。
〜完〜
【あとがき:それから3ヶ月後】
私は今、毎朝3秒でまつげをつけている。グルーは洗面台の奥にしまったまま、もう3ヶ月触っていない。電車の中でまつげを気にすることもなくなった。デート中にトイレダッシュすることもなくなった。
そして節約できた3万円で、念願のデパコスのアイシャドウパレットを買った。
つけまつげと戦っていた5年間は確かに無駄だったかもしれない。でもあの戦いがあったからこそ、今の感動がある。
人生は些細な発見で変わる。それは深夜0時のベッドの中、何気なくスクロールしていたスマホの画面から突然やってくる。
革命は、いつだって、こんな風に始まるのだ。
この物語は、全国のグルーと戦う女性たちに捧げます。